DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

冬眠をしますか?

できるものなら、したいけど。

少しまえの話になるけど、大寒波に見舞われたアメリカ東海岸南部のノースカロライナ州では、凍りついた水から鼻先だけを空気中に出すかたちで、ワニが冬眠しているらしい。

www.cnn.co.jp

ワニも冬眠するとは知らなかった。

死んでそうにも見えるけど、温度が上がったら復活するらしい。なかなかシュールな光景。

冬眠は、英語では「hibernation」と「brumation」という使い分けがあるらしく、このワニの冬眠は「brumation」らしい。おおよそ爬虫類がする冬眠を「brumation」というみたいだ。

ただ、いろいろ不活性状態のなりかたのチェック項目があって、その両者を区別する厳密な定義の違いがあるようだ。哺乳類がする冬眠でも「hibernation」に該当しないものがあるらしく、その違いまでは踏み込んでみなかったのでよく判らない。

日本語でも、爬虫類の冬眠は「休眠」と呼んだりもするらしいけど、どうもそこまで厳密に使い分けられている感じではない。こちらも、アカデミックに定義された用語の使い分けがあるんだろうけど。

こんなマニアックな英語の使い分けが日常会話で今後役に立つとも思えないけど、ちょっとおもしろかったのでメモ。

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断捨離をしますか?

まえの記事のバックアップのところでも書いたけど、2011年の東日本大震災のときに家ごと全部持ちものが流されてしまったので、はからずも断捨離をしてしまった。

強制的巻き込まれ型の断捨離である。

自発的にやらないと断捨離とは呼ばないかな?

もともと断捨離をする気はなかったので、またどんどんものが溜まりはじめて、いろんなものが家のなかに滞留している。それでも、震災まえに比べると、だいぶ余計なものを溜めなくなったような気がする。一気に全所有物も全データも失ったショックが精神構成を変えたということもあるし、狭い住居をいくつか渡り歩くことになってまだ本拠地が定まっていない生活環境の不安定さもあるし、家族構成が変わったということもある。

そもそも、断捨離に近いことは自発的に生活のなかで以前からおこなわれていて、要らないものは断るし、要らなくなったものは捨てているから、若いときに比べるとその見極めをシビアにするように(できるように)なったということだと思う。

断捨離の極意は「離」の部分、ものへの執着から離れることにあると思うけど、これはどうだろう? たしかに修行僧とか雲水とか仙人とか「離」に特化した在り方に対する、そこはかとない憧れみたいなものは抱いてはいるけど、一方で、そこまで突きつめる気になれないというか、もっと欲にまみれている自分を肯定していたいというか、そこまでしなくてもそれなりの幸せのかたちがそこにあるんじゃない?という気分のほうが優勢なんだよね。

まあ、自分の快適さを求めて、調度良いバランスを探りながら、物欲と断捨離の狭間を泳いでいけば、それで良いのだ。なんだか最後はバカボンみたいになっちゃったけど、だから、断捨離はしない(できない)。

 

バックアップをしますか?

わりとこまめにバックアップを取るほうだ。

メインで使っているMacは、タイムマシンが自動的にバックアップしてくれるので、それにお任せっきりだけど、たまにもうひとつ別の外付けハードディスクにコピーを取ったりしている。溜まった写真などを入れているストレージ用の外付けHDDも、タイムマシンの他にもうひとつ別のコピーを作っている。正・副・予備、ってわけじゃないけど、だいたい同じデータが3つはある感じ。

しかし、これでは、充分じゃない。

2011年の震災のときに、ぼくが住んでいた家は津波で全流失してしまった。

MacBookも外付けHDDその1その2もディスク媒体も、なにもかも全部なくなってしまった。ちなみに、跡地でハードディスクをひとつだけ回収できたけど、物理的に破損していて修復不能だった。

いくらバックアップを取っていても、同じ場所にあったのでは意味がなかった。

昔会ったある研究者から、「自分の研究データが消えてしまうのが最大の恐怖で、いくつもコピーを作って、自宅や研究室や常時携帯というふうに場所を分散して保存している」という話を聞いて、なるほどと思ったものの、自分はそこまで大切なデータを持っているわけでもないしなとも思い、まあそうそう簡単にすべてのバックアップが消えることはないだろうと、対岸の火事的な心持ちで、べつだん気にせずそれきりだった。

しかし、そこまでしないとバックアップとしては不充分だったのだ。自分は大丈夫だろうと漠然と思っていたけど、そんなことは全然なかった。津波や隕石はかなりのレアケースとしても、火事だったり、豪雨による床上浸水だったり、雨漏りや上階の不手際的な水の被害だったりは、あってもおかしくない。

バックアップしたいなら、場所も分散させないといけないのだ。

今だったらオンラインでクラウドに保存するのが良いんだろうけど、どうもそこまでは、いまいち踏み切れていない。

鶴田謙二初、「2巻」出た!

ほんとうだよ! 

『冒険エレキテ島』の2巻が出ていた。上のタイトルは、オビに書いてあったフレーズ。出ているのを知らなかったし、出るとも思っていなかった。書店でたまたま見つけた。

鶴田謙二のマンガは、この雰囲気がたまらないのだなあ。ちゃんと「そっち」の世界に連れていってくれる感じ。

そして……

出ろよ、3巻!

 

 

弘法筆を選ばず

最近、身の回りではあまり聞くこともなくなったこのことわざだけど、弘法大師ほどの超絶達人だから、筆を選ばなくても良いという境地なんだよね。素人か、せいぜい素人に毛が生えたくらいの玄人は、充分に良い道具を選んで、常に手入れをして万全の状態にしておかないと、やはり立派な仕事はできないだろう、と経験に照らして思う。

ただし、下手すると道具に自分が合わせて特化してしまって、道具が変わると調子を崩しちゃったりする。いつもの感覚からずれてしまうからだ。超絶達人は、そういった域を超えていて、そのずれをすぐさま修正できるのか、そもそもずれをキャンセルできるのか、そのへんは超絶達人になったことがないからよく解らない。でも、いずれその域に達するには、どこかで「悟りを得る」みたいな大きな転換、個人的パラダイムシフトが必要とされるんだろうなあ、とぼんやり思う。

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「JOJO展 in S市杜王町 2017」の良くなかったところ

今年のものをいろいろと整理していて、思い出したので書いておく。

ほとんど愚痴だけど、次回での改善を望みたいところだ。

2017年の夏に仙台市メディアテークで開催された『JOJO展』。仙台市で開催されたのは2回目だ。仙台市のあちこちに仕掛けがしてあって、前回よりも気合いが入っている様子がうかがえた。

しかし、である。

展示を見終わって、最後に公式パンフレットを買おうと思ったら、

「今日の分は売り切れました」

「明日の分はありますが、今日は売れません。明日来て下さい」

「明日買うためには、また明日の分の入場チケットが必要です」

「他の場所では売ってません」

 

なん・・・だと・・?

 

何という「詰んでる」感。

 

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S・H・I・T! つまり、この僕はもう買えないということじゃあないのか?

よしんば、また別な日に来れたとしても、またチケットが必要ってのは酷くないかい? それで売り切れてたらまたチケット買わないといけないのかい?

JOJO展』の内容を堪能してすっかりスガスガしいイイ気分でいたところに、この敗北感!

もうちょっとなんとか対応可能だろうに。『JOJO展』が展示している『ジョジョ』という作品に通底する黄金の精神を、この運営は理解していないんじゃないのか。スピードワゴンの兄さんなら「こいつはくせえッー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!」って言っているに違いない。

しかし、紳士である僕はそんなことは言えず、「スピードワゴンはクールに去るぜ」ばりにクールに去ったのであった。涙目で。

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ネルフの荷物

ネルフから荷物が届いた。

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納品書ケースもネルフだった。

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中身はこれ。今さらながら買っちゃった……

 

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])

 

 商品を簡単に貼れるんだなあ。ブログは便利だ。

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