DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

やる気スイッチの所在

どこかにあるようによく言われる、やる気スイッチ。

そんな便利なものはどこを探しても見つからなくて、たいていの場合は、今している行動や状態を維持し続けようという、こころの「慣性の法則」が働いて、そしておおよそのケースでは自堕落な状態をキープしてしまうことになっている。

しかし、若いときはあまり感じなかったのだけど、いつぐらいからだろうか、スイッチというよりも、モードが自然に切り替わることが意識されるようになった。

判りやすいのは、仕事モードと自宅モードだ。いやいやながらでも、職場に行って、仕事を始めると、仕事モードに切り替わる。わりと効率的に、手際よく物事を進めようというモードになっている。家に帰ってきて、着替え終わったころには、自然と自宅モードになっていて、てきぱきした行動は影を潜め、躰がもう活動を求めない。

仕事モードにもたぶん何層かモードのレイヤーがあって、例えば人前で何か発表をしなければならないとき、それが始まるまではすごく嫌だけど、始まってしまうとモードが切り替わって、何とかそつなくこなせる人間のように振る舞っている。

休みの日も、大別するとアクティブモードとオフモードがやっぱりあって、どのモードになるかによって、全然違う結果になる。

これが、グラデーション的に徐々にエンジンがかかってくるというよりも、まるでスイッチを切り替えたかのように、オンオフがはっきりしているように感じるのだ。しかも、切替はオートマティック。自分で意識しない。躰の反応も違い、例えばトイレに行く頻度などが変わっている。

若いときは、もっとグラデーション的な、どっちつかずなままでいろいろな物事を処理していたような気がする。あるいは、無理してどちらかにモードを持っていこうとしていたような気もする。それなりに年を経て、もともとあったものを意識できるようになったのか、後天的にモードが発生してきたのか、そのへんはよく解らない。躰が主導しているのか、心が主導しているのかも、よく解らない。

で、いくつもモードがあることは意識したのだけど、それを思うがままに一瞬にして切り替えるスイッチはまだ見つかっていない。

しかしまあ、大きな方向性として、オフからアクティブ側に持っていくには、まず何でもいいから動くこと以外には方法はないように、今のところは思える。ちょっとしたことでもいいから、いやいやでもいいから、動いていると、いつの間にかアクティブモードに入っている。どこにスイッチがあったか判らないけど、切り替わっている。ほんとうに、それ以外にやる気スイッチをオンにする方法はなさそうだ。ポチッとな、って押せたら便利なんだけど。

いやいや動いていても全然アクティブモードにならないときは、躰の側で拒否してるんだなと諦めて、ごろごろして自堕落に過ごすしかない。

 

 

モルダー&スカリー

だいぶ満を持して、『The X-Files』2016を観た。

以前はずいぶん嵌まって観ていたX-ファイルだけど、いろいろと忘れてしまっていることが多いのを実感。2016年の復活版は、6話だけのミニシリーズ。最終話の終わり方が「???」だったので、ウィキペディアを見てみたら、今回のは正式にシーズン10であり、すでに続編となるシーズン11が撮影されているらしい! 最近、いろいろと復活ものが多いなあ。

しかし、メインストリームとなる政府の陰謀・宇宙人もの(ミソロジー系)より、独立した短編エピソードのほうがだんぜん面白いのは、あいかわらずのX-ファイルらしさである。でも、政府の陰謀がないと全体が締まらないから、必要悪みたいなものである。

自分が暗い部屋や地下みたいなところに懐中電灯で光を当てながら入っていくとき、いつも「X-ファイルっぽいな」という気分になっていたんだけど、この要素は今回も充分に発揮されていて、しかもモルダーとスカリーもメタ的にそんなセリフを言っていたので、ああやっぱりそういうものだったんだ、となんだか変なところで納得してしまった。

海外ドラマではよく見るこの手のシーズンの終わらせ方のことを「クリフハンガー」と呼ぶのは、ウィキペディアを見て初めて知った。

 

 

鳴動するもの

某力士の事件に関するネットのニュース記事を読んでいて、「……鳴動するスマホを触ったことに……」という文章を見かけて目が止まった。

確かにスマホは、着信音が鳴って、バイブで振動するから、「鳴動」しているのかもしれない。字面の意味そのまま、といえばそのままだ。

でも、「鳴動」するものといえば、泰山とか大山とか天地とか、そういうスケールのもののイメージしかなかったし、それ以外に使われているのを見たことがなかったから、ちょっとびっくりした。

スマホの『大辞林』には、【鳴動】は「1. 大きな音を立てて揺れ動くこと。2. 地鳴り」とある。

スマホが鳴動するかー。確かに鳴動してるしなあ。まあ、言葉の意味は時代とともに変わっていくものだから、ポケットのなかで小さな携帯端末が鳴動する時代になったがじゃ!ということかもしれない。

スマホ鳴動して横綱引退、ですか。  

 

ちなみに朝日新聞デジタルでした。

www.asahi.com

勤労感謝の日

もともとは新嘗祭の祭日だったらしい。五穀豊穣を祝い、収穫物に感謝するのが本来だ。勤労感謝の日には好きな人にお米を贈って想いを伝えよう!、みたいな商業イベントを生み出す気配が見えないのは、業界が何かに遠慮しているんだろうか?

久しぶりに昼間にテレビをつけてみたら、どこもかしこも横綱の暴行問題ばかり取り上げている印象。休みの日に時間をかけてまでそんなの見る気にならないよなあ。テレビ離れしてるんじゃなくて、テレビのほうが自分から離れていってる感じだ。

1,000万のコンマの違和感

細かいところで気になってること。

例えば「1,000万」という表記の、コンマの打ち方が気になる。

元々は、欧米の桁の数え方が、3桁ごとに呼び方が変わっていくから、それにあわせて1,000,000,000のようにコンマを打つものだろうと思う。英語なら、サウザンド、ミリオン、ビリオン、と3桁ごとに変わっていくから、これは1ビリオンで、10億だ。判りやすい。

日本でもこれが導入されているが、中国を初め漢字文化圏だと、3桁じゃなく4桁ごとに呼び方が変わるから、しっくりとは馴染まない。4桁ごとにコンマを打つほうが馴染みやすい。ほんとうにそのほうが良いと思うんだけど、いかんせん、欧米式を導入してしまって久しいので、もう、どうしようもない。会計などで大きな数字を扱うときは、頭を切り換えて、欧米式に変化するコンマの位置に慣れなければならない。慣れてしまえば、もうそれほど苦にならないし、逆に英語で会話するときなんかには換算に役に立つくらいだ。表などでの単位(千円)や(百万円)もすっかりおなじみ。さすがに(十億)はほとんど見ないけど......

そこに登場する「1,000万」。

「万」でいったん4桁でくくっておいてからの、3桁でコンマ。ややこしくないか? フルで表記すると、10,000,000。英語なら10ミリオンで何の問題もなく綺麗なんだけど、「万」とコンマを同時に使うから、表記上コンマの位置がぶれる。これが気になってしまう。コンマの左の数字の桁は、千か百万か十億か兆か......であって欲しい、気がする。

それなら、コンマを入れずに、ただ「1000万」で良くないか?

ゼロが多いと桁が判りにくいからコンマを打つのだろうけど、1000くらいなら間違えるということはまずないと思うし。それ以上の数を、例えば10000万と表記することはまずなくて、これなら普通に1億だ。11000万もありえなくて、これなら1億1000万、あるいは1億1千万だ。つまり、1000か100かを見分けるためだけにコンマが打たれているようなもので、ほとんど意味がない。だったら、無用な混乱を避けて、素直にコンマなしの1000万が最適だと思う。

1,000万も日本語ならではの独自の表記だから慣れろ、と云われればそれまでなのかもしれないけど、なんだかなあと、釈然とはしないのでした。

エンプティ・ハウス

あまり更新する気がなくなっていたダイアリーを7月にやめた。やめる特別なきっかけがあったわけではなくて、ふと、もうやめよう、と思えたのでやめた。それでお終いで、もう、ブログをやるほどのモチベーションはないな、と思っていたんだけど、これまた特別なきっかけがあったわけではなく、ふと、ちょっとブログでも書いてみるかな、と思えたので始めることにした。思い立ったが吉日です。