DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

桃のない節句

ひと晩明けて、今日は頭痛が治まった。じつに快適だ。頭痛に低気圧が関係ある、なんて説もあるみたいだけど、どうなんだろう。今日は晴れていた。データを取ってみて、自分の頭痛に関係がありそうかどうか試してみようか。

3月3日の桃の節句が過ぎて、啓蟄が今日のようだ。しかし、桃の花はどこにも咲いていない。暖かい南の地方ではもしかしたら咲いているところもあるのかもしれないが、こちらではあまりに早すぎる。桃の花の上げようがない。

七夕のときも毎年思うけど、旧暦でこそ意味のあった行事を、新暦に合わせて“お引っ越し”してしまっては、元も子もないんじゃないかと思う。まだムシが地面から出てくまえの寒いさなかに桃の節句が来るし、梅雨のど真ん中に七夕が来てしまう。なんかしっくりこないではないか。

北の方に住んでいると、京都や東京を中心に考えられた季節の催し物はやっぱりちょっと早い、というのが普通の感覚になってしまっていて、無意識に時期がずれることを許容している面がある。それにしても、桃の節句の時季外れ感は大きいと、最近になって気になりだした。年のせいか。

旧暦も年によって季節とのずれが大きくなったりするから必ずしも良いとは云えないかもしれないが、それにしても、ずいぶん季節外れの行事を小さいころから無理強いされてきたんだなあ、と思う。そりゃあ、季節感も失われていって当然だ。

カレンダに、大安とか仏滅とか最近できた意味の解らないものはどうでもいいから、月の満ち欠けと旧暦とか、二十四節気とか、そういうものを入れ込むことをメジャーにした方が、季節と共に生きる感覚に敏感になれるんじゃないかという気がする。

まあ、昨今の気象は、過去のデータが当てにならなくなりつつあるから、もうどうでも良くなるかもしれないけど。

ちなみに、今年の旧暦の三月三日は、4月18日のようだ。

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