DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

元号と年度

ちょっと気を抜いたら4月になっていた。

でも、気を抜かなくても4月にはなる。

そういうカレンダの定めだ。

カレンダの定めといえば、年と年度とのずれに、多くの人が悩まされているかと思う。そうでもないだろうか? ぼくは、その3か月のずれに、小さな傷口がふさがってできたカサブタを取りたくなるくらいには悩まされている。年が一年のうちに二回変わるみたいだし、人間工学的に(?)感覚が拒絶しているような感じがする。ややこしいことこのうえない。

年と年度という、ドが付くか付かないかの違いしかないところも、いっそう問題をややこしくしていると思う。どっちのことを言っているのか、判断がつかないことがよくあったりする。

もういっそのこと、元号は4月から始まって3月終わり、西暦は1月から始まって12月終わり、くらいの大きな改革をできないだろうか。つまり、平成30年は、4月1日に始まって、3月31日に終わるのだ。律儀に1月1日からその年が始まらなくてもべつにいい。年度というものがそういう仕組みなのだし。元号は役所主体で使われていて、役所は年度に縛られているのだから、元号と年度という役所的な用途を一カ所に固めてしまえば、それでせいせいするというものだ。

対外国的には、世界的に統一されたカレンダを使うほうが都合が良いから、西暦はそのままだ。年越し・新年も、西暦にのっとって1月1日で祝えばいい。むしろ、同じ仕組みの同じ年を、元号と西暦の2種類の呼び方で(しかも数はずれているままで)呼ぶほうがややこしい。

どうせ、150年まえに、それまでのカレンダを太陰暦から太陽暦へ仕組みからすべて変えるという大変革を起こしたのだから、これくらい、また変えてみたら、案外新鮮でおもしろいのではないだろうか?