DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

水彩画の白の表現

あまりテレビは観ないと云いつつ、「プレバト」を観ている。

そこで思い出すのが、中学生の頃の美術の授業の話。

美術の時間に学校の近くで水彩の写生をしていて、木のある風景を描いていたとき、生い茂る木の葉の隙間にはちらちらと向こうの空が白く見えていたから、筆を点々と当てて緑を塗り、隙間に白の部分を小さく塗り残すようにして、木の葉の部分を塗った。

そうしたら、美術の先生からは、そういう塗り方はしないで、木の葉の茂っている部分はすべて塗りつぶすようにしなさい、隙間を白く残すような塗り方はよろしくない、というふうに指導されたのだ。基本的に画用紙の白を使うのはよろしくなくて、画用紙はすべてちゃんと色をつけて塗りつぶさないといけないという話だった。

隣で描いていた友達は、筆を点々と当てるのではなく、わりとべたっと木の緑部分を塗りつぶしていて、美術の先生曰く、そういうふうに塗りなさいということだった。良くいえば、油絵っぽい感じの仕上がり、といったところ。

自分のやり方のほうが木がリアルっぽいと思っていたから、不満ではあったものの、そういうものなんだろうと思って、白の隙間は塗りつぶすようにしたんだけど。

「プレバト」では思いっきり、白いところは画用紙の白を有効活用すべき、と水彩画の先生が云ってた。

なんだよ。画用紙の白、使っていいんじゃないか。

なんだろう、流派みたいなものの違いなんだろうか。指導要領の水彩画では画用紙の白は使わないことになっているんだろうか。それとも、当時の僕の技術レベルからいくと、木の葉の隙間を表現する塗り方より、しっかり塗りつぶしたほうがまだ上手く見えるから、レベルに合わせてそう指導した、という感じのことなんだろうか。もしかしたら、雑な塗り方に見えたのかもしれない。けれども、そういう指摘だったのではなくて、美術的な理屈として、画用紙の白を使うのが良くないという話だったと記憶に残っている。

真意はもう解らないけれど、プレバトの水彩画を見るたびに、いつもそれを思い出す。