DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

断捨離をしますか?

まえの記事のバックアップのところでも書いたけど、2011年の東日本大震災のときに家ごと全部持ちものが流されてしまったので、はからずも断捨離をしてしまった。

強制的巻き込まれ型の断捨離である。

自発的にやらないと断捨離とは呼ばないかな?

もともと断捨離をする気はなかったので、またどんどんものが溜まりはじめて、いろんなものが家のなかに滞留している。それでも、震災まえに比べると、だいぶ余計なものを溜めなくなったような気がする。一気に全所有物も全データも失ったショックが精神構成を変えたということもあるし、狭い住居をいくつか渡り歩くことになってまだ本拠地が定まっていない生活環境の不安定さもあるし、家族構成が変わったということもある。

そもそも、断捨離に近いことは自発的に生活のなかで以前からおこなわれていて、要らないものは断るし、要らなくなったものは捨てているから、若いときに比べるとその見極めをシビアにするように(できるように)なったということだと思う。

断捨離の極意は「離」の部分、ものへの執着から離れることにあると思うけど、これはどうだろう? たしかに修行僧とか雲水とか仙人とか「離」に特化した在り方に対する、そこはかとない憧れみたいなものは抱いてはいるけど、一方で、そこまで突きつめる気になれないというか、もっと欲にまみれている自分を肯定していたいというか、そこまでしなくてもそれなりの幸せのかたちがそこにあるんじゃない?という気分のほうが優勢なんだよね。

まあ、自分の快適さを求めて、調度良いバランスを探りながら、物欲と断捨離の狭間を泳いでいけば、それで良いのだ。なんだか最後はバカボンみたいになっちゃったけど、だから、断捨離はしない(できない)。