DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

「日本」の読み方

マイナンバー登録は漢字で銀行口座はカナだから本人の口座か一致確認できないとか、日本の住所表記がカオスすぎて技術者の鬼門になってるとか、最近の話題を見て連想したのが、やっぱり「日本」の読み方。

日本語においてですら、「日本」の読み方は、「ニホン」か「ニッポン」か、統一されていない。どっちかというとニッポンだけどニホンでも別にいい、結局どっちでもいい、というのが日本政府の見解だ(ったはず)。どっちでもいいのだ。国の名前ですらこうなんだから、そりゃいろいろ大変だよな、と思う。

それでも、日本の国名というのは、ある意味では統一されてて、ニホンでもニッポンでもジャパンでもジャポネでもジパングでもハポンでもヤーパンでもヒノモトでも、日本の呼称は、「日本」という漢字をどう読むか(読んだか)、という点に集約されている。すべてのベースは、「日本」という文字、漢字表記なのだ。それぞれの言語によって、その読み方が違っているだけ、というかたちになっている(あくまで結果としては、だけど)。とてもシンプルだ。これはなかなかおもしろい、と思う。

そのへんが、戸籍はいまだに漢字表記だけで、読み方は問わない、ということと同じ根っこを持ってるんだろうか。漢字ファーストというか、漢字をありがたがりすぎというか、律儀なのかおおらかなのかよく解らなくて、ちょっと変で、ちょっと可愛い感じもする、日本人。

でも、もうちょっとデジタルサイドにアップデートしていかないと、これからの時代......

水彩画の白の表現

あまりテレビは観ないと云いつつ、「プレバト」を観ている。

そこで思い出すのが、中学生の頃の美術の授業の話。

美術の時間に学校の近くで水彩の写生をしていて、木のある風景を描いていたとき、生い茂る木の葉の隙間にはちらちらと向こうの空が白く見えていたから、筆を点々と当てて緑を塗り、隙間に白の部分を小さく塗り残すようにして、木の葉の部分を塗った。

そうしたら、美術の先生からは、そういう塗り方はしないで、木の葉の茂っている部分はすべて塗りつぶすようにしなさい、隙間を白く残すような塗り方はよろしくない、というふうに指導されたのだ。基本的に画用紙の白を使うのはよろしくなくて、画用紙はすべてちゃんと色をつけて塗りつぶさないといけないという話だった。

隣で描いていた友達は、筆を点々と当てるのではなく、わりとべたっと木の緑部分を塗りつぶしていて、美術の先生曰く、そういうふうに塗りなさいということだった。良くいえば、油絵っぽい感じの仕上がり、といったところ。

自分のやり方のほうが木がリアルっぽいと思っていたから、不満ではあったものの、そういうものなんだろうと思って、白の隙間は塗りつぶすようにしたんだけど。

「プレバト」では思いっきり、白いところは画用紙の白を有効活用すべき、と水彩画の先生が云ってた。

なんだよ。画用紙の白、使っていいんじゃないか。

なんだろう、流派みたいなものの違いなんだろうか。指導要領の水彩画では画用紙の白は使わないことになっているんだろうか。それとも、当時の僕の技術レベルからいくと、木の葉の隙間を表現する塗り方より、しっかり塗りつぶしたほうがまだ上手く見えるから、レベルに合わせてそう指導した、という感じのことなんだろうか。もしかしたら、雑な塗り方に見えたのかもしれない。けれども、そういう指摘だったのではなくて、美術的な理屈として、画用紙の白を使うのが良くないという話だったと記憶に残っている。

真意はもう解らないけれど、プレバトの水彩画を見るたびに、いつもそれを思い出す。

5月の終わりは初夏か

そうこうしているうちにもう5月も最終日になってしまった。初夏らしい天気だった。小さいころに得た知識だと、3・4・5月が春だ。晩春と初夏が入り混じったような季節が今だろうか。近ごろはだいぶ温暖化して、初夏といっても真夏に近い日が多くなっているのかもしれないが、それでもまあ、僕の住んでいるあたりでは、まだ夏ほど蒸し暑さが酷くなくちょっと爽やかさを含んでいる感じがあって、やっぱりまだ夏ではない、せいぜい初夏かなという雰囲気をしている。いま調べて見たら、3・4・5月を春とするのは、気象庁が用いている区分で、一般的な解釈とされているらしい。暦の上の「二十四節気」では、立夏が5月の7日頃らしいから、そちらの流れではすでに夏ということになる。1ヶ月弱ぐらい前倒しでカウントしてるようだ。確かに、ゴールデンウィークが終わるくらいには夏の気配みたいなものを感じるから、そこから夏にしてしまうというのも解らないではない。この計算でいくと、8月8日頃に秋になるから、それはさすがに少し早すぎな気もするけど、お盆が終わればもう秋という感じは確実にあるので、それほどずれてもいないかもしれない。それ以降暑い日が続いても、「残暑」という便利な言葉で誤魔化せるから大丈夫ということか。こうしてみると、昨今の季節のブレも充分にカバーできるくらいの幅で、日本語や日本の総合的な文化上の季節は区分されているようだ。温暖化による季節の変化は、まだまだ、現代日本語を変えなければならないほどには進んでいないのかもしれない。いつごろ通用しなくなってくるのだろうか。

24

ディズニープラスに入っているが、ふとしたタイミングでドラマの『24』があることを発見、懐かしいなあ、と思って、ほんのちょっとのつもりで見始めたら、すっかり嵌まってしまった。やめられない。とまらない。カルビーかっぱえびせんみたいな中毒性で見続けてしまった。かつてレンタルで借りて見ていたときと違って、わざわざ外に行かなくても座ったままいくらでも次の話を見ることができるし、というか勝手に次の話が自動再生されるし、なんならシーズン最終話の後も次のシーズンの第1話が自動再生されるしで、もし断固たる社会人としての節度を持っていなかったとしたらどこまで自堕落になっていただろうと背筋も凍らんばかりの恐怖を与えんほどの勢いである。おそるべし、ジャック・バウアー

Leopard 2 は、レオパルト・ツヴァイか、レパード・ツーか

めずらしく時事ネタ。ドイツの戦車「レオパルト2」がニュースで話題になっているが、ニュースのアナウンサは「レオパルト・ツー」という読み方で紹介している。

そこは「レオパルト・ツヴァイ」じゃないのか。ドイツの戦車なんだし。ツヴァイのほうが恰好良いし。

しかも、同じニュース内でアメリカ人のレポータは「レパード・ツー」と呼んでいたから、英語的には、Leopardは「レオパルト」じゃなくて「レパード」である。百歩譲っても「レオパルド」である。ということは、「レオパルト・ツー」は英語発音を日本語化したというわけでもなく、ドイツ語+英語の謎のハイブリッド日本語ということになる。不思議だ。

しかもしかも、型番の「A5」を紹介したときの読み方は「エー・ゴ」。つまり、Leopard2A5は「レオパルト・ツー・エー・ゴ」である。なんてややこしい。

「ひふみよ…」と「いちにさんし…」がほぼ区別されることなく数字の日本語読みとして定着しているように、「ワンツースリーフォー」も、もはや英語ではなく日本語読みであって、その3種類の読みのどれを選ぶかはそのときどきで好きに決める、ということになるのだろうか。

でもここはやっぱり「レオパルト・ツヴァイ」が良いと思うな。恰好良いし。

辛いと辛いを見分けられるか

「つらい」のか「からい」のか。

これはさすがに違う漢字を当ててほしかった。

単独で書かれるとまったく判別できないのはもちろんのこと、文章中に出てきても判りづらいことが多い。おっ、「判りづらい」の「づらい」は、もしかして「辛い」だろうか?

カラいのはツラいかもしれないけど、カラいのが好きでツラくない人もいるし、逆はほとんどの場合で真ならずで、ツラいのはカラいからかというと、たいていツラいときというのは、カラい思いはしていない。これが全部同じ漢字というのは酷すぎる。昔の人は、カラいときくらいしか、ツラいと自覚しなかったのだろうか。

謹賀新年2023

というわけで、年が明けた。2023という数字の並びは、これまでになく「近未来感」を感じる。10代の頃、まだ自分がいる範囲での遠い未来として、ぼんやりと想像していたくらいの数字だ。良いのか悪いのか、あのころの未来にぼくらは立っているのかな、というほど具体的に想像してないけど、感慨としてはそんな感じだ。

日記でも、ぼやきでも、ときどき何か(仕事じゃなく)文章を書いておかないと、だらだらした日常になってしまいがちなので、ちょっとしたメリハリを日常に与えるために、このブログを活用しようと思っている(というか、今、思った)。どことも直接的には繋がらずに、ゆるく孤立している感じがちょうど良い。ちなみに今日のこれは、ぼやき。

もう割と長く生きているし、2023という数字を見ると、平均寿命を基準にしても残りの時間のほうが少ないし、まあいつ死ぬかは解らないけど、生きてる限りは生きていこう。