DonoCronicle

DIE WAHRHEIT IST IRGENDWO DA DRAUẞEN

加速度的と加速的

「加速的」という言葉に違和感を覚えた。何かの文章を構成している時である。「加速度的」じゃないかな、と思ったのだ。しかし、じっくり考えてしまうと、よく解らなくなる。

違和感を覚えたのは、おそらく、自分のこれまでの読書歴からいって「加速的」という言葉にあまり出会わなかったからだと思う。「加速度的」という単語に馴染んでしまっていて、「加速的」っていうと、何か足りない感覚がして、「加速度的」を言葉足らず的に省略した言い回しなのではないか、というふうに感じてしまったのだと思う。

ネットで検索してみると、ネットの辞書で「加速的」は出てくる。また、「加速的」と「加速度的」を比較して、「加速度的」っておかしくない?と云っている意見もネット上にはある。ぼくはその逆だった。「加速」なら、わざわざ「的」を付けるまでもない気がする。「加速して増えていった」、みたいに素直に表現できる気がする。「加速度」は、そのままでは修飾する言葉としては使えないから、「的」を付けてようやく成立する。

じゃあ、「加速度」的ってどういうことかと言われると、厳密には説明しづらい。速度の変化の割合が加速度で、加速度が大きいのか小さいのかは、「加速度」という言葉には含まれていない。でも「加速度的」という言葉でイメージさせたいのは、どんどん加速度が上昇しているというイメージなのだ。この意味では、「加速」という言葉のほうが、たしかに速さを加えているのだから、スピードを増していっている状況を説明するには適切じゃないか、という話も頷けそうな気がする。

いつから「加速度的」という言葉が使われ始めたのか知らないが、おそらく、加速しているという表現だけでは伝わらないもっと凄いスピードアップ具合を表現したくて「加速度」を用いることを思いつき、そんな雰囲気を何となく表現するのに打ってつけな「的」を付してそれっぽい表現にしたところにこの言葉の面白みがあって、それがウケて広まって、伝えたい意味もちゃんと伝わって、日本語として定着したんじゃないかな、と想像する。その後に、「加速度的」という言葉がアンチテーゼとして、あるいは単に省略されるか誤解されるかして、「加速的」という言葉の使用が広がってきたんじゃないかな、と愚考する。

根拠はない。調べてもいない。当てずっぽうである。

ただ、『広辞苑(第六版)』とアプリの『大辞林』には、「加速度的」という単語は載っているが、「加速的」は載っていない。この2つの辞書的には「加速度的」のほうが正解のようだ。